
| この番組は「教える」をなめらかにし、みんなの「かわる」に寄り添うを掲げるPOPER代表の栗原慎吾と、山村で自宅を図書館として開き、「地に足をつける」生き方を探求する思想家・社会福祉士の青木真兵が、さまざまな「教える現場」を訪ね、その奥深い呼吸に耳をすませながら、教育の本質を問い続けるトーク番組です。=構成・向山夏奈 |
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伊藤恭(いとう・きょう)さんのプロフィール ピグマリオングループ代表。1978年、「ピグマリオンメソッド」を開発。幼児から小学校低学年を対象とした独自の学育メソッドにより、幼児期に10歳程度、10歳で14歳以上の認識能力を育てるカリキュラムを全国200教室超で展開。灘中合格者日本一の浜学園が運営する幼児教育部門「はまキッズ」のカリキュラムも提供。スリランカ民主社会主義共和国名誉領事。 |
学校教育への批判から始まった
青木 今日は慎吾くんの強いリクエストのもと、大阪・江坂にお邪魔しております。
栗原 この方のお話をぜひ聞いてもらいたい!と思いまして。ピグマリオン学育メソッドの開発者、伊藤恭先生です。
伊藤 ありがとうございます。77歳になりまして、もう五十数年、なんやかんやで教育に携わってきました。
栗原 伊藤先生が幼児教育に携わり始めたのは、どういうきっかけだったのでしょう。
伊藤 私が30歳のときに長女が生まれまして、そのときすでに塾を40軒ほど経営していましたから、さあ、自分の子どもに最高の教育をしよう、と。改めて「教育とは何か」「我が子とは何か」を、生まれたばかりの娘を目の前にしながら、真剣に考え始めました。

伊藤 私は、親子が「絶対の関係」であることに着目しました。たとえば、「太郎くん」にとって、親は唯一の存在ですよね。もっと裕福な親を紹介しましょうか?といわれても、「お願いします」とはいえない。この「絶対の関係」こそが、すべての教育の根本にある、と私は考えています。
これに対して、学校教育というのは「ものの教育」です。他者と比べ、競争させ、優劣・順番を決める。それは人間を相対的な存在として扱うことです。相対的な考えでは、いつまでたっても「もの」のレベルを超えられない。
その証拠に、「学校に行って賢くなった人は手を挙げてください」といっても、あまり手が挙がらないんですよね。でも、飲食店で7〜8割の客が「まずい」といったら、潰れます。それなのに、なぜ学校だけは存続できるのか——。これは根本的に間違っているんじゃないか、と気づいたんです。
そこで、幼児教育についての本を読み始めました。ただ当時の「幼児教育」と呼ばれていたものの多くは、実際には「小学校受験教育」であって、幼児教育ではありませんでした。有力な小学校受験教室を毎日のように訪ねて、一年経ったら後継候補のように扱われたこともあります(笑)。
その過程で気になったのは、なぜみんな「過去問」を使って教えているのか、ということです。「去年こんな問題が出たから、この問題を解けるようにしよう」ではなく、「なぜその問題が出るのか」を考えたことがあるか——そう問い続けていくうちに、IQテストや筆記テストだけでは見えていない、決定的に欠けているものがあると気づきました。それが指先の調節能力です。
動物の進化を見ていくと、まず「握れる」かどうかが猿と他の動物を分けます。次に、「つかめる」かどうかが類人猿を分ける。そして、「つまめる」のは人間だけです。さらに、手首が回って斜めの線が描けるようになったとき、初めて指先の調節能力と、目と手の協応能力が育ち、外界を直線や曲線として捉える能力ができあがります。
ガリレオ・ガリレイは「宇宙は数学の言語で書かれており、その文字は円であり三角形であり、その他の幾何的学図形だ」といいました。これは正しい。幾何学とは「図形」と「空間」に分けられます。図形は角度と辺だけ。土地の面積図を見ると、すべて直角三角形に分断されています——この世は直角三角形の積み重ねで成り立っているのです。そして、この幾何学的な認識の根っこにあるのが、指先の調節能力なのです。だから、塗り絵をする、ちぎり絵をする、折り紙を折る——そういった、指先を使う活動を幼いころにたっぷりやることが、基礎をつくるのです。
正しさは「教える」ものではなく「つくる」もの
伊藤 重要なのは、記憶力ではなく認識力です。チンパンジーの記憶力が人間の2倍という研究が話題になっていますが、記憶力は「もの」の能力です。スマートフォンだって膨大な情報を記憶している。でも問題を解決できますか? 自分で答えをつくれますか? 人間が選んだのは、記憶ではなく自分でものごとを考え、つくっていく力なのです。
ガリレオはこうもいっています。「教えることなどできない。ただ気づかせるだけだ」。これがすべてです。従来の学校教育は「天動説」で、教師が正しい答えを与え、子どもはそれを覚える。でもそれでは神と奴隷の関係で、必ず罰を伴います——できなければ罰がある。そこに自由な心や創造性は生まれません。
私が言いたいのは、正しさは「教える」ものではなく「つくる」ものだということです。「この人と結婚して正しかったか?」——正しいかどうかわからない。でも、正しさはつくるんです。愛も、右も、数字の3も——この世のあらゆることは、関係の中でつくられるものです。一つの正しい答えを覚えるだけでは、その関係が見えない。
空間というものは、この世に存在しません。「右」という概念は、地球がなくなったら左との関係でしかない。この世を「関係として捉える」ことを幼いころから育てなければ、本物の知性は育たない。うちの教室では、小学校4年生で中学3年までの内容を終える子もいます。小3で高校1年生の内容をやっている子もいる。それが可能なのは「教えていない」からです。数学も理科も英語も、40回、1回1時間の授業で終わる。なぜなら自分で答えをつくるから。教えたら暗記しなければいけないので、9割の人には無理なんです。2024年には灘中で1位・2位・3位を独占する合格者も出ました。また、「はまキッズ」(灘中合格者日本一の浜学園が運営する幼児教育部門)の教材・教具・カリキュラムは、私どもが提供しています。
栗原 今日の話って算数や数学の話というよりも、「世界がどう成り立っているか」の話ですよね。世界の成り立ちを説明するために算数があり、国語があり、理科がある——そういう枠組みで学んでいたら、ぼくももっと頭が良くなっていたんじゃないかと、痛切に感じます。

「数える」ことで知性が崩れていく
伊藤 最後に「数」の話をします。手で数えた文明は人類の歴史に存在しない。これは断言できます。マヤであれエジプトであれ、古代文明はすべて「捉える」ことによって数を扱いました。数えることに意味がないからです。
1・2・3は数えなくてもわかります。4は「2と2で4」。象形文字でもエジプト文字でも、3までは数えずに捉えられる。量は「捉える」ものです。長さ・重さ・時間・電流・熱——これらは数えられますか? 測るだけでしょう。ものさしを見てください。5のところが飛び出ている。7は5より二つ大きい、9は10より一つ少ない——みんな「捉える」仕組みになっているのです。
掛け算を「足し算の繰り返し」と教えるのも問題です。掛け算は「同じものをその数だけ足すこと」ですから、量として並べると長方形になる(例:「3×4」は「3が4つ」だから、3本の縦棒を4列並べると長方形になる、だから掛け算の答えを面積と同じ「積」と呼ぶ )。割り算は引き算の繰り返しで「何回引けるか」を聞いている(例:「12÷3」は「12から3を何回引けるか」=4 )。四則演算は、すべて長方形化で統一されます。円の面積も、台形の面積も、切ったり並べ替えたりすると長方形に変形できる――これが一本の法則性です。
公式を八種類丸暗記させるような教え方は、教えている側がわかっていない証拠です。すべてのことは一つの法則性でつながっている——それをわからせることが教育のはずです。

伊藤 数えることによって何が起きるか。知性が崩れていくのです。数えると答えが出てしまうように見えるから、「捉える」力が育たない。そして自分で答えをつくる能力が育たなければ、学校で習ったことを暗記するだけの人間になってしまう。空間認識についていえば、幾何学能力があれば「未来が読める」のです。サイコロを転がして、次の目が何かわかる。放物線の二次関数で、どこに落ちるかがわかる。歴史を学ぶのも過去から未来を読むため。学問とは、自分の未来をつくるために役立てるものなのです。
栗原 伊藤先生の話は、聞くたびに「そういうことだったのか」という発見がありますね。
青木 仏教との関わりなど、まだまだ聞きたいことはたくさんあるのですが、今日のところはここまで。伊藤先生、ありがとうございました。
伊藤 ありがとうございました。また続きを話しましょう。
















