第1回(前半) 鳥羽和久さん――塾をまっとうにやると、おもしろい場に「なっちゃう」

この番組は「教える」をなめらかにし、みんなの「かわる」に寄り添うを掲げるPOPER代表の栗原慎吾と、山村で自宅を図書館として開き、「地に足をつける」生き方を探求する思想家・社会福祉士の青木真兵が、さまざまな「教える現場」を訪ね、その奥深い呼吸に耳をすませながら、教育の本質を問い続けるトーク番組です。=構成・向山夏奈

青木 ということで、鳥羽さんに会いに福岡は「唐人町寺子屋」までやってまいりました! 栗原さん、いかがでしょうか。

栗原 もう、うどんがおいしい。

鳥羽 ああ、すぐそこの老舗に行かれたんですか。

栗原 はい。「ごぼう天」が本当においしいですね~。

鳥羽 そうそう。ごぼう天が関東のうどん屋になかったときのショックですよ。あんなにおいしいものがないなんて、私からすれば「うどんがわかってない!」くらいの感じ。

青木 このトークを聞いてもらえると、「あっ、この二人は本当に福岡に行ったんだな~」ってわかってもらえると思います(笑)。

鳥羽和久(とば・かずひさ)さん プロフィール
1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に中学生40人を集めて学習塾を開業。現在は、株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役として、学習塾「唐人町寺子屋」塾長、単位制高校「航空高校唐人町」校長、および「オルタナティブスクールTERA」代表を務め、小中高生150名余りの学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(筑摩書房)、『「推し」の文化論――BTSから世界とつながる』(晶文社)、など。

 

教育業界で「グレー」のまま闘う

青木 『学びがわからなくなったときに読む本』(あさま社)の千葉雅也さん(哲学者)との対談では、「受験勉強なんて意味がない」という知識人たちへのエクスキューズを語られていました。詰め込み型教育が批判されがちななかで、印象的なお話です。

鳥羽 競争社会の煽りを自覚する大人たちは、「受験競争のせいで子どもたちの未来が破壊される」と危機感をもって語ります。その人たちは、「暗記学習が子どもにとっていかに害であるか」とも語るんですが、そもそも暗記そのものって悪者なんだっけ?って私はいつも思うんです。

暗記には明らかに意味があるし、勉強の大前提です。暗記をしないと、論理をつなげて考えることさえできませんから。それに、千葉雅也さんが、「山川の日本史」(教材)を隅々まで暗記するトレーニングを「無意味だったかというとそんなことはない。それを通じて、脳の器が大きくなったような実感があるから」と言っていたように、認知できないレベルでの波及効果も大きい。それなのに、学校のシステムや受験への批判と、暗記をすることをごっちゃにして語っていない?って。私はそのことのほうに危機感を持ちますね。当たり前に「勉強しよう」「暗記しよう」と伝えることが、「配慮が足りない」という烙印を押されかねない。

青木 教育業界の問題を語る人って、たいてい「高学歴・高収入のために受験を頑張るのは当たり前でしょ!」という全肯定か、「受験なんてどうしようもない」という全否定か、どちらかに分かれますよね。

鳥羽 どっちかですよね。僕は「森のようちえん」のようなやり方(園舎を持たず、自然の中で保育を行う)は好きですけど、オルタナティブな教育を浴びている子たちは、親の影響で自分たちの学びを原理化するところもあって。なので、子どもたちがどちらかの価値観しか知らないことは、不幸だと思っています。

うちの塾では、東大や九大、修猷館高校といった誰もが知っているような難関校をめざす子たちを全力で学習支援する一方で、教室の1階によくわからない本を置いてみたりとか、「変な人がきて、歌って帰る」催しをやってみたりとか――いま失礼ながら、坂口恭平さん(作家、画家、音楽家、建築家など多彩な活動を行なう)のことを頭に浮かべて言ったんですけど(笑)――、そういう「ノイズ」を発生させるようにしています。進学校を目指す学習塾と、単位制高校、フリースクール、書店を同じビルで運営することで、同じ場所にどっちのレールもあって、どっちもアリ、そんな空間が子どもたちに間接的にプラスの影響を与えるように感じています。どちらの子どもも自分のレールを原理化せずに済みますから。

たとえ受験勉強が詰め込み型教育だと批判されても、受験に向かって魂を削りながら努力をしている子たちの姿って、すごい青春だと思ってるんですよ。それは100%肯定したい。だからといって、誰もが同じレールで同じ努力をするなんてオカシイ。そんな思いでこの場所をつくっています。

栗原 じつは、僕自身は個人塾を始めたときに、塾という場所を批判的に見ていたんです。最初の保護者会で、「いや、偏差値とかクソですよ」って宣言しちゃって、その場がめちゃくちゃシラケて。

鳥羽 あぁ~……それはやっちゃってますよ……。

栗原 いやーほんとに。でも、実際に塾業界に入ってみたら、否定できない側面がたくさんありました。同じ目標に向かうプロセスや、そのために努力している子たちを否定できないし、それこそ青春だなって、僕も感じました。

鳥羽 親御さんも「偏差値なんかで人間をはかることはできないよね」ってことくらい、わかっていますからね。わかりながら、そんなグレーな中でやっていくしかないって自分なりに考えて受け止めて、子どもと一緒にいまできることを頑張っているんです。そこを外の人間が一辺倒にバカバカしいと言ってしまうのは、その人たちの複雑な生活感情に対する敬意が足りないのだと思います。

そうした気づきもあって、現状の教育システムのなかで闘っていくためには、白か黒かではなくて、その中間で、子どもたち一人ひとりに何ができるかをしっかり考えていかないと無責任だと考えるようになっていきました。変にわかったつもりにならずに、保護者の葛藤をできるだけそのまま共有したいという気持ちがあります。

理念を掲げると子どもたちが見えなくなる

青木 僕はさいきん大学生と関わることが多くて、そうするとみんな就職活動で悩んでいます。「リクルートスーツ着たくない……」とか。大人が聞けば「何わがまま言ってんの?」って思うかもしれないけど、僕はその学生の感覚はまっとうだなって思う。それなのに、どうも社会ではその感覚を消すことが社会人になることだとされている気がするんです。つまり、白黒つけられないものをはっきりさせることが社会人なんだという、一種のあきらめみたいなものを強制されているような向きさえ感じます。だから、鳥羽さんが白黒つけずにグレーの中で闘うと言ったことを、すばらしいと思いました。

鳥羽 僕もそこらへんはめちゃくちゃ悩みますよ。たとえば、取材やインタビューで、「現代における塾の社会的役割とは?」みたいなことをよく聞かれるんですよね。まあ、今日もそういう場なのかもしれませんが(笑)。でも、そこですんなり答えられちゃったら、理念が「先に立ってる」状態なんですよね。私は、それをやってしまうと「終わる」っていう感じがする。

たとえば、いま非認知能力(知能検査や学力検査では測定できない能力。人の心や社会性に関係する力といわれている)が大事だといわれているんですけど、「非認知能力」といってしまった時点で、それが目標化するでしょう。で、目標にするためには、わかりやすく的を一つに絞っていかなければならない。そのときに、「非認知能力」といわれるものが本来もってる流動性が、固定化されるように働くんですよね。たとえば、やる気、忍耐力、協調性、自制心といったものを「これが非認知能力です」というように、中身が固定されてしまう。そうしなければ、価値化できないからです。

塾という場所は、目の前の子どもの「いま」がどんな状況で、いまこの子と何ができるかっていうことでしかない。それができないと、子どもたちといる意味が本当になくなります。ちなみに、ここで間違ってはいけないのは、子どもの「いま」を見よう、観察しようというのは、点として、解釈として、事実として見ようと頑張ることではないですよ。真面目な人ほどそれをやっちゃう。すると理念化しちゃう。価値化しちゃう。そうじゃなくて、「いま」を「動き」として「動き」のままに捉えるんです。それが教室の全てなので、あらかじめ塾の社会的役割を考えることはしたくない。

栗原 たしかに、理念って未来を指向するものですよね。鳥羽さんが本の中で言っていたように、子どもは「いま・ここ」を生きています。それなのに、大事な時期に未来を先取りしてしまうと、どこかねじれてしまう、変な子どもになっちゃう。

鳥羽 ところが、「いま・ここ」を生きている子どもたちも、だんだんそうじゃなくなっていくんですよね。成長するにつれて、過去の自分についていろんな解釈をしてみたり、その解釈をもとに未来をどうやって構築しようかって考える、つまり歴史性を抱えるようになる。そういう子どもたちを見ていると、なんだかすごく切なくなるし、めちゃくちゃ人間らしいなって思う。

うちの教室では、小6(11歳)で入会した子と大学入試(18歳)まで時間をともにすることがたびたびあります。すると、子どもたちが人生で最も変化する時期を見ているなっていう感触があるんです。やっぱ中3くらいまでは本当にいまを生きている感じが強いんです。そして、高校になるとほとんどの子が社会化していきます。そして18歳はたびたび15歳のときの自分を馬鹿にするんですよ。「子どもだった」「何もわかってなかった」「青かった」って。私は「いやいや」って、「15歳のあなたをどうか否定しないでくれ」「15歳のあなたの素晴らしさを僕は絶対に忘れないから」って思うんです。でも、18歳は、15歳の自分を踏み越えることで社会性をまとうことを自分に課していく。そうやって「大人」になっていく。そういった子どもたちの知らず知らずの変化を間近で見られることで、なんとも言えない気持ちになることもあるけど、それ自体がかけがえのないことだと思っています。

A面の強度がB面を豊かにする

青木 社会から要請されるものとは別にして考えたときに、塾の役割はなんだと思いますか?

鳥羽 それは間違いなく勉強を教えて、学力を伸ばすことだと思います。

青木 勉強を教えることのほかに、何か役割はあるんですか。というのは、たとえば、鳥羽さんにとって塾には他に大事な役割があると感じていても、まずは「勉強を教えます」とだけ言葉にして、他の部分はぼやかす。そうするほうがいい、っていう場面があるんじゃないかなと。

鳥羽 えー、そういう質問ができる青木さんが、めっちゃすごい。ほんとゾッとする~。

青木栗原 (笑)。

鳥羽 ……ええっと(笑)、いまのは大事な話ですね。塾にとっての契約相手は保護者ですよね。その保護者は勉強を教えること、学力をつけることを期待していることがほとんどです。なので、「うちの塾は学力をつけるための塾です」、「実際に結果を出します」としっかり言えないとダメだと思っています。学力をつけることを第一にするのがうちの塾の強みですし、そこがど真ん中にあると。だから支持を集めてきたんだと思います。

ただ、塾を長年やるなかで、勉強を教えるときにお互いの中で溢れだしてきた剰余みたいなものを解消したいって思うようになりました。たとえば、どうしても学校で話せないようなことを話したい子もいる。そこで、高校生の授業の中に「哲学対話」を入れてみたり。そうすると、自分のセクシャリティのこととかいままで親を含めて誰にも話したことがないようなことを、塾の空間で初めてしゃべった、ということが起きる。面白いなあって思います。青木さんはさっき「ぼやかしたほうがいい」と言いましたけど、こういう場が生成することによって生まれるものというのは、先に「役割」として話すことはできないですよね。でも、結果的に場にとっての「役割」としてはこれ以上のものはないかもしれません。

哲学対話についても、理念先行で始めたんじゃなくて、「いま子どもたちとこういう場をつくると面白いことになりそうだ」っていう勘が芽生えたときに始めた感じなんですよね。なので、うちの塾は基本的には勉強を教える場だけど、何かが溢れだしたときにはその「溢れ」に対応しています、としかいいようがない。

栗原 たしかに、商売の目線で考えたときに、たとえば「人間性を育成する塾です」とかっていったら、ぜんぜん生徒は集まらないですよね。

鳥羽 うさんくさいわ~って思うもん。

栗原 そう、うさくさくなっちゃう。商売にとっては、鳥羽さんがいったように学力を上げるという「モノ(商品)」がしっかりあることが、当たり前だけど大事なこと。そのA面があるからこそ、B面で子どもが変わっていく姿を見ることができる。塾にはそういう面白さがあるような気はしますね。逆にA面をおろそかにしてまで理念を打ち出すのは、経営側が自分の立場を説明したいだけのように感じます。

鳥羽 塾のまっとうなところって、「しっかり勉強を教えます」ってだけ言えるところなんですよね。親も資源が限られているなかで、それだけで済ませたい。でも、子どもに何かあったときには、この塾はそれだけじゃないプラスアルファを提供してくれるんだっていう手応えが親と子の心の支えになります。そこを押さえられていない塾は、正直センスないなって思います。

子どもにとって最後の砦になりたい

鳥羽 塾の1階で、「とらきつね」っていう書店兼イベントスペースをやってるんですけど、味噌とか醤油とかも売ってるんですよね。以前そこに哲学者の中島義道さんが来たときに、おもむろにしょうゆを抱えて、「こうなっちゃうんだよね…」って満面の笑みで言ったんですよ。それを見て、一瞬で僕らがやっていることを察知してくれたなって。その都度必然的に感じるものを引き寄せながらやっていると、しょうゆを売るなんていう、塾からはまったく遠いことに「なってしまう」ことがあるんですよ。だから、モデルや理念があるのではなく、「なっちゃう」という感じ。

青木 ぼくも自宅を開いて図書館(人文系私設図書館ルチャ・リブロ)にしてるんですけど、「図書館をやろう!」と思って図書館をやってるわけではないんですよね。本を貸し出ししているし、本がある場所なので、社会的にみると図書館に近いから仮に名づけているっていう感じです。

鳥羽さんは、塾で勉強を教えることを第一にはしているけど、いわゆる塾をやりたいというわけではなさそうですよね。そのあたりはどう言語化されますか。

鳥羽 やっぱり僕は教えるのが好きだし、授業中の生徒の反応が面白くてたまらないし、それに生徒が結果を出すとめっちゃうれしい。この前も、福岡県模試で成績が全県総合一位になった子が出たので喜びました。教えるなかで、どうやったら子どもたちに伝わるか、どうやって教えるのがより理解しやすいか、そういうことと戦う日々です。

でも、なんか、それだけじゃぜんぜん救われない子がいるんですよね。ほんとにぜんぜん。たとえば、いつもと違う表情をしている子がいたら、それに気づきたいっていう気持ちがとてもあります。実際にそういう子に声をかけたら、数日前に自殺未遂を試みていたっていうこともありますから。そういうときに、僕はちゃんと気づきたい。最後の砦になりたいという気持ちでやってるところはあると思います。

――後編に続きます

栗原慎吾(くりはら・しんご)
(株)POPER代表。2007年、住友スリーエム(現:スリーエムジャパン)に入社する。その後ソウルドアウトに入社し、2012年、友人に誘われ塾の共同経営者として参画する。塾業界のシステム化を進めるべく、2015年にPOPERを設立し、現職。2022年、東証グロース市場に上場。

 

青木真兵(あおき・しんぺい)
思想家/社会福祉士。1983年生まれ。博士(文学)。社会福祉士。奈良県東吉野村に移住し自宅を「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」として開きつつ、就労支援、ユースワークなどにも関わりながら執筆活動を行っている。著書に『武器としての土着思考』(東洋経済新報社)など。

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