監修いただいた先生
数学の大学教授が塾を開いたからと言って成功するとは断言できないように、塾経営は「学習指導スキル」だけでは成り立ちません。様々な要素が絡み合って塾経営の成否は決定します。そうした要素の中でも重要なのはコミュニケーション能力です。もしコミュニケーション能力が必要ないとすれば、映像教材をズラッと並べたコインランドリー風の塾が登場しても不思議ではありません。人と人との関わりの中で成立する塾というビジネスにとって、コミュニケーション能力は指導力に匹敵するほど重要だと言っても過言ではないでしょう。
ところが塾経営者の中には、このコミュニケーションを苦手とする方が少なくありません。生徒との会話は普通にできても、保護者との会話がギクシャクしてしまう、地域の付き合い(PTA・町内会等)は避けている…そんな経営者です。A塾長もそうでした。
当時のA塾は創業7年、地方の田舎町にある個人塾でした。塾長と女性講師が指導し、塾長の奥様が事務を担当する塾生数40人程度の小さな集団指導塾です。経営不振に悩む塾長の依頼を受け、現地に(何度目かの)訪問をした時のことです。何かの用事で出掛けることになり、塾長と二人で車に乗り込むと、1台の車が駐車場に入ってきました。一人の女性が降りてきて、校舎に入ろうとしています。どうも業者のようには見えません。「どなた?」と聞くと塾長は平然と、「あぁ、塾生の母親ですね」と答えるではありませんか。後で聞いた話によると、事務手続きのために奥様を訪ねて来たようです。しかし、何の用かに関わらず、来塾した保護者を無視することは有り得ません。私は塾長のケツを蹴っ飛ばして、「何でもいいから話して来い!」と命じました。
それまでの塾長は、町のスーパーやコンビニで保護者を見掛けると、見つからないように姿を消していたようです。「何を話せばいいか分からない」というのが理由です。その傾向は対塾生も同じで、授業が終わるとスグに控室へと引っ込んでいると言います。これではいくら指導力があったとしても、多くの塾生を獲得することは難しいでしょう。
私は塾長に懇々とコミュニケーションの重要さを説き、改善を迫りました。そこで実行を決めたことは次の通りです。
1 生徒が帰る時に、一人ひとりと(笑顔で)ハイタッチをして見送る
2 その後は駐車場に出て、迎えに来た保護者と(一言二言)雑談を交わす
3 年に2回、保護者対象の教育セミナーを開催する
4 三者面談の回数を増やす
5 塾生参加のレクレーション的イベントを企画する
生徒とハイタッチをするなど、塾長からすれば「清水の舞台から…」の覚悟が必要です。最初、ハイタッチをしようとすると生徒は、「何、先生、どうかしたの?」と不思議そうにしていたそうです。それでもめげずに続けていくとスグに生徒も慣れ、「ィえーい」と言いながら手を合わせてくれるようになりました。保護者セミナーは私も手伝いに行ったのですが、話しぶりはお世辞にも上手とは言えなくても真面目さと熱意が伝わる内容で、何か保護者が「塾長がんばれ!」と心の中で念じながら聞き入っている雰囲気でした。
慣れというのは素晴らしいことで、塾長のコミュニケーション能力は格段に向上しました。町で保護者を見掛けると、自ら「〇〇君のお母さん!」と声を掛け、「〇〇君、部活、頑張っていますね」と話題をつなぎます。悪ノリした塾長は、ある年から自らの誕生会を開いています。対象は保護者だけで、近くの居酒屋の一室を借りた酒付きの宴会です。費用はもちろん塾長持ちですが、それでも30人以上の保護者が集まったのには驚きました。私も招かれて初回だけ参加したのですが、塾長と奥様を中心とした和やかな雰囲気に心から安堵したものです。
もともと指導力には定評のあった塾長が、コミュニケーションにも心を配るようになったのですから鬼に金棒です。数年も経たずに塾生数は倍増、利益は10倍になりました。もちろん、カリキュラムや授業料の見直し、指導内容の改善等、様々な取り組みの結果ですが、コミュニケーション方法の革命的改革(向上)が最大の要因だと私は確信しています。
いくらITやAIのデジタル機器が進歩しても、塾はアナログビジネスです。「教えること」は映像や学習ソフトに出来ても、肝心のモチベーション構築は究極のアナログである「人」にしか出来ません。
「塾に人あり!」ですね。