[7]教室(校舎)という「形」の改善から始めたG塾

監修いただいた先生


「人は見た目が重要」という言葉があるように、塾も見た目が重要です。なぜなら人は「形」に反応する性質を持っているからです。

 G塾に招かれたのは、とあるセミナーの懇親会がきっかけです。私は講師として参加していたのですが、懇親会の同じテーブルに座ったG塾の塾長から依頼を受けました。その懇親会で塾長は、教育に対する思いを熱く語り、根っからのいわゆる個人塾の経営者でした。人柄も良く、きっと生徒や保護者から信頼されているのだろうと想像しました。ところが塾長から、最近の経営不振について相談されることになったのです。「懸命に努力しているのだが、ここ数年、生徒の減少が止まらず困っている。原因も分からず何を改善すればいいか見当もつかない。アドバイスが欲しい」と。酒の席での話では実情が伝わらないので、塾長の依頼を受けてG塾を訪問することにしました。

 G塾に到着し、入口を入った瞬間に私は経営不振の原因を理解しました。あまりにも雑然としているのです。何カ月も前に届いたであろう教材を梱包していた段ボールがそのままになっていたり、生徒の忘れ物か教室の予備か分からないワークが数冊、机の上に放置されていたり、コピー用紙の包みがゴミ箱から溢れていたり…何となくトイレの匂いも漂っています。

 私は開口一番、「清掃や整理整頓はしないのですか?」と尋ねました。すると塾長は「掃除よりも重要なことがあると思います。私は教材準備に忙しくて、掃除まで手が回りません」と答えます。

 多くの個人・中小塾に見られる傾向です。これまでも、「掃除をしていますか?」という問いに胸を張って、「はい、毎週土曜日を掃除の日と決めています」と言われた塾長がいたことを思い出します。道理で消しゴムの消しカスが机の上や床に散乱し、生徒が書いたであろう下品な落書きがそのままなのでしょう

 塾は客(厳密に言えば生徒は客ではありませんが…)を招いて学習指導というサービスを提供するサービス業です。他のサービス業で、サービスを提供する場を週に1回しか清掃しない店があるでしょうか。教材準備や授業が重要なことは否定しません。しかし、だからと言って清掃や整理整頓を疎かにしていいという理屈はありません。どちらが重要かではなく、どちらも重要なのです。我々はビジネスとして塾を運営しています。自分の思い込みや情熱だけで何とかなる世界ではありません。

 これまでも整理整頓ができていない塾は何度も見てきましたが、G塾のそれはあまりにも酷かったのです。教室はまるで倉庫の中のようでした。そんな場所で学習したい生徒、学習させたい保護者はいないでしょう。「中身が大事」と言いますが、それは外見を軽視して良いという意味ではありません。外見が悪ければ、中身を吟味してもらう機会さえ与えられません。

 よく、「少しくらい汚い中華店の方が美味しい」と、通ぶって話す人に出逢いますが、私はそうは思いません。繁盛している店ほど衛生管理に傾注していますし、少なくとも私は、茶色い虫が出そうな店や油でベタベタした床の店で食事をしようとは思いません。

 私はG塾の塾長に懇々と清掃・整理整頓の重要性を説き、どうしても時間がないというのなら業者に依頼してでもやるべきだと説得しました。合わせてトイレの掃除と除菌、匂い対策も強く進言しました。

 こうした話をすると、「うちは築50年の建物で、どれだけ清掃に努めても無理がある」と言われる塾経営者がいます。「古い」のはいいのです。「汚い」のが問題なのです。クライアントに「町並み保存区域」に立地している塾があります。かつての城下町の風情を残すために、近代的な改修が認められていません。当然、見た目は古いのですが、凛としたたたずまいを維持し、多くの生徒が通っています。

 いくら言葉で「熱心に教えます」「面倒見の良い塾です」と強調しても、その熱意や面倒見の良さは実際に体験してもらわなければ伝わりません。しかし塾のたたずまいは、一歩足を踏み入れただけで解ります。どれだけ熱心に素晴らしい学習指導をしていても、それ以前に拒絶されるようではもったいないことです。そして・・・

 

 最大の問題点は、そうした整理整頓や掃除を疎かにしていると、肝心の学習指導そのものも手抜きをしていると思われてしまうことです。そして、これは私の経験則ですが、その判断はあながち間違っていません。素晴らしい指導をしている塾は、教室(校舎)も清潔に整然と管理されているものです。「神は細部に宿る」と言います。まずは教室(校舎)という「形」の改善から始めてください。

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