学び紀行 ドリーム・チーム編:「塾はなくなる」と思っていた建築家志望が、20年続けた“1中学校1塾”という戦略

コミマグ編集部が、全国各地の塾経営者の塾づくりへの思いや取り組みを聞く「学び紀行」。 「子どもたちを元気な笑顔にする」——この理念を掲げ、大阪・枚方で生まれた一つの塾から、現在は68校舎(取材時点)にまで広がった学習塾グループがある。株式会社ドリーム・チームだ。 特徴的なのは、一つの校舎が一つの中学校だけを対象にする「1中学校1塾」という専門塾モデル。20年以上にわたって右肩上がりの成長を続けてきたこの会社の原点には、意外にも「教育への高尚な思い」も「業界の可能性」もなかったという。当時は建築家を志していた岩井社長が、なぜ塾の世界にたどり着き、独自のモデルを築き上げたのか。代表ご自身に、その軌跡を語っていただいた。

 

▼会社紹介
株式会社ドリーム・チーム/2004年創業/68校舎(取材時点)
理念:「子どもたちを元気な笑顔にする」

 

▼代表者紹介
岩井 俊夫氏(代表)
大学で建築を学び、旭化成(ハウスメーカー)に新卒入社。大学院での建築研究を経て不動産会社へ転職。その子会社だった塾の運営を引き継ぐかたちで2004年に株式会社ドリーム・チームを創業。

建築家を志した学生時代と、大企業への“違和感”

物語の出発点は、塾でも教育でもなく「建築」でした。

元々、私は大学で建築を勉強していて、新卒のときも旭化成というハウスメーカーに入社しました。仕事はすごく楽しく、充実していたんです。ただ、当時は「大企業に就職すれば安泰」という時代でしたから、ふと、この会社にずっと勤めて私の人生が終わっていくのか、と思うと、少し不安になってきました。

そこで「自分の夢って何だったかな」と考え直したとき、思い出したのが、大学教授になりたいという夢でした。といっても「教えたい」というよりは、研究室を持って、学生と一緒に新しいものを生み出したい、という感覚に近かったですね。

その思いから大学院に進み、在学中には自分で設計した家を実際に建てたりもしました。それくらい建築にのめり込んでいたのですが、いざ入ってみると、思い描いていた大学教授像とは違ったんです(笑)。それなりに偏差値の高い大学だったこともあって、派閥争いのようなものもあって。理想としていた「新しいものを生み出す場」とは、少し違っていました。

建築を一通り学び終えて、「さて、次はどうしようか」と考え始めたのが、この頃でした。

「気分転換」で飛び込んだ不動産、そして塾との出会い

次に選んだのは、不動産でした。といっても、大層な理由があったわけではありません。建築を一通り勉強したから、気分転換に不動産の勉強でもしてみるか、というくらいの感覚でした。それに、大企業を経験したので、次は逆にちっちゃい会社に行ってみようと思いまして。それで、大阪・枚方にある社員10人ほどの、面白そうなことをやっている会社に入れてもらったんです。

そうしたら、その会社の子会社に塾がありまして。「ちょっと赤字だから手伝え」と言われたんですね。私はもともと教えるのが得意だったので、朝から夕方までは不動産で働いて、夕方からは塾で働く、という生活を始めました。

そんなことを続けていたら、1年ぐらい経った頃には、もう私が塾の責任者みたいになっていたんです(笑)。子どもたちもよくなついてくれて、毎日とても楽しく働いていました。

社長の逮捕、そして“引き継ぐかたち”での創業

順調に見えていたある日、転機が突然訪れます。会社の社長が、業務上横領で捕まってしまったんです。

ちょうど7月ごろ、受験を控えた大切な時期でした。だからこそ、どうしてもこの塾を潰したくない、という気持ちが先に立ちました。経営がどうこうという以前に、目の前の子どもたちのことが頭にありました。

結果的に、私がその塾を引き継ぐような形になって——これが、ドリーム・チームのスタートです。2004年、女性社員2人と私の3人での創業でした。

「塾はなくなる」と思っていた——可能性ではなく、子どもたちのために

正直に言うと、創業した当時、私はこの業界に可能性を全然感じていませんでした(笑)。

独立したのが2004年。その少し前、2000年にはITバブルがあって、「これからはインターネットの時代だ」という空気が世の中にありました。独立した頃にはバブル自体は終わっていましたが、インターネットはますます普及していく。だから私は、もう5年後には塾なんて世の中からなくなるんじゃないか、なんで私はこんな古い業界に関わっているんだろう、と思っていたくらいです。

それでも続けたのは、やはり子どもたちのためです。すごくなついてくれていましたし、塾を潰したくない、この子たちを悲しませたくない——そういう気持ちで始めました。このように立派な教育理念から始まったわけではありません。目の前の子どもたちを見守りたい、その気持ちが、結果として今日まで会社を動かし続けてきました。

「1中学校1塾」——不動産時代の原体験から生まれた差別化

ドリーム・チーム最大の特徴が「1中学校1塾」という専門塾モデルです。実はこの発想は、不動産時代の塾での苦労から生まれたものでした。

その頃の塾は、バスを2台持っていました。不動産屋がやっていた塾なので、普通とは少し違って型破りで、8つくらいの中学校から、バスで生徒をかき集めていたんです。規模としては大きかったのですが、その分、運営はとにかく大変でした。中学校ごとにテストの日程もバラバラ、内容もバラバラで、テスト対策が本当に大変だったんです。

そのとき、これがもし1つの中学校だけだったら、どれだけやりやすいだろう、と思っていました。「もし自分がやるなら、1中学校専門の塾にしよう」と、半ば冗談で考えていたんですね。私ならこうするのに、と。

それが、まさかこういう形で自分が創業することになって。だったら、その冗談をそのままやってみようか、と。独立したときに、対象を1つの中学校だけに絞りました。この形が、20年以上経った今も続いています。

このモデルが効いているのは、それが「意図的」だからだと思っています。たまたま結果的に1中学校専門のようになっている塾はあると思いますが、うちのように意図してやっているところはありません。意図的にやろうとすると、運営のすべてが変わってきます。塾名も全校舎で違いますし、出店するときの店舗の選び方も、チラシの作り方も、広告宣伝の仕方も全部変わってくる。結局、そこが差別化になっているのかな、と感じています。

商品は「人」——社員ファーストと、塾業界への“違和感”

正直、塾を出店すること自体はすごく簡単だと思います。飲食店なら厨房機器など設備投資がかなりかかりますが、塾は極端に言えば机と椅子さえあればできてしまいますから。

では何が難しいのか。やはり、そこにいる「人」です。社員こそが「商品」だと思っているんです。その人が輝いていないと、子どもたちも寄ってこない。だからこそ、人材育成には特に注力してきました。

この「人」へのこだわりは、理念にもつながっています。掲げているのは「子どもたちを元気な笑顔にする」。人を元気にしようと思ったら、まず自分が元気でなければ、人を元気にはできません。だから、私たち自身が楽しく元気に働いている姿を子どもたちに見せよう、と常々言っています。むしろ、それこそが最高の教育かもしれない、と思っているくらいです。

この理念ができたのは創業3年目ごろ、もう20年ほど前になります。「社員ファースト」や「残業なし」といった考え方を、まだ世の中で当たり前に言われる前から打ち出していたことになりますが、それはおそらく、私が塾人ではなかったからだと思います。

20年前の塾、特に地域密着のところは、夜な夜な先生が残っているのが当たり前でした。子どものために遅くまで残り、休日もテスト前も働く。熱心で、良い先生であることは間違いありません。でも、そこでアルバイトをしている子が「自分もここで正社員になって働きたい」と思うかというと、やっぱりそうはならないんですね。だから、この業界は特殊だな、と。塾人ではないからこそ、強くそう感じていました。私からすれば、塾業界のほうが少し異常なんです(笑)。

では、現場の負担をどう減らすか。一つの答えが「本部機能の充実」でした。現場の人がやらなくて済むように、その負担を限りなく本部で引き受けよう、と考えました。

とはいえ、当時その本部機能を担っていたのは私自身です。たとえばポスター一つ作るのにも、当時は切り貼りをして、ものすごく時間をかけていました。だから早い段階で、A1サイズのポスターを印刷して各校舎に配れるようにしたり、とにかく現場の先生方に負担がいかないように工夫していきました。

教室ですべてを完結させる塾が多いなかで、早くから販促物を本部で巻き取り、組織として現場を支える仕組みを整えてきたつもりです。

新卒採用が突きつけた課題と、組織づくり

新卒採用を始めたきっかけは、リーマンショックの頃です。「今は世の中が大変だから、ちっちゃい会社でも新卒採用をやれば成功するよ」という話を聞いて、じゃあちょっとやってみようか、と。いざ採用するとなると、受け入れる側もきちんと整えていかないといけません。価値観の言語化も、その必要から生まれたものでした。それ以来、新卒採用は一度も途切れることなく続けています。

採用と並んで大事にしてきたのが、風通しのよさです。うちの社員は、提案だけでなく、文句も直接私に言ってきます(笑)。若い社員でも遠慮なく言ってきますが、「ありがとう、貴重な意見を」と受け止めています。

世代を超えた関わりを生む仕組みも用意しています。たとえばプロジェクト制です。「こういうプロジェクトを立ち上げたいので、一緒にやりたい人」と募集すると、ベテランから2年目くらいの若手まで、いろんな社員が手を挙げてくれる。その中でいろいろな意見をもらいながら進めていく、というのを何度かやっています。

こうした仕組みを意図的に増やしてきたのには理由があります。社員数が増えてくると、どうしても社員同士の接点が少なくなってしまうんです。だから、その接点をあえて作っていこう、と。

「キャリア別ミーティング」というものもあります。普段なかなか会わない社員たちと、月に1回、ランチを食べながら、今困っていることを聞く場です。「会社で困っていることはない?」と聞くと、会社への文句が出てきたりもします(笑)。今日も、この4月に入ったばかりの新卒が、さっそく文句を言っていました(笑)。

ただ、新人がそうやって声を上げられること自体は、良いことだと思っています。ここに至るまでには、それなりの試行錯誤がありました。実は、初期の新卒採用は決して順風満帆ではなかったんです。

1期生の新卒はもう一人も残っていませんし、2期生も辛うじて1人残っているだけです。最初の頃は、こちら側の体制も整っていませんでしたし、既存のスタッフも新卒を育てた経験がありませんでした。だから、失敗をたくさん繰り返しながら、申し訳ないなと思いながら、「じゃあこうやって会社を良くしていこう」と少しずつ進めてきて、今に至ります。大きな失敗というよりは、新卒採用をすることで、うまく育てられないという課題を次々に突きつけられた、という感覚に近いですね。

特に大きかったのが、現場と経営の認識のズレでした。現場からすれば「手伝ってくれるアシスタントが来た」くらいの受け止め方になりがちです。でも経営側としては、今後の会社を担う人材を一生懸命採用してきたつもりなんです。そのあいだで、本人たちが悩んでしまう。

辞めていった社員に対しては、はっきりとした反省があります。そういう辛さやしんどさを、ちゃんと吸い上げてあげられなかった、聞いてあげられなかった——その反省から、キャリア別ミーティングのような仕組みが生まれました。接点のない人たちを集めて、順番にご飯を食べながら話を聞いていく。掲げるだけでは機能しなかった「みんなで会社を作り上げる」という価値観を、組織として吸い上げる仕組みが、ようやくできてきたのかな、と思っています。

まずは100校舎——高校版モデルと地方展開

今は中途半端な68校舎なので、まずは100校舎にしたい。30年ごろまでに100校舎、というのを短期の目標として掲げています。長期的には1000校舎も視野に入れていますが、それとは別に、新しいモデルも構想しています。一つの高校に特化した専門予備校、いわば中学生向けモデルの「高校版」です。

背景には、大学入試の変化があります。今は評定がとても重要になってきていますし、指定校推薦も増えています。そういう状況であれば、うちのビジネスモデルは、むしろ高校生のほうがすぐに対応できるんじゃないか、と思っています。定期テスト対策を強みにしてきましたから、その点でも相性は良いはずです。

展開エリアについても、今は都心部の、規模の大きい中学校に限られています。でも、今のITやネット環境を使えば、地方でも同じような仕組みができるんじゃないか。そんなことも、会社でいろいろ話し合っているところです。

“偶然”から始まり、一時は「塾はなくなる」とすら思っていた——そんな代表の手で築かれた「1中学校1塾」というモデルは、20年以上の時を経て、いま中学から高校へ、都心から地方へと、その射程を広げようとしている。

(編集後記)

「教育への高尚な思いは全くなかった」と笑う代表。しかし話を聞き進めるほどに、今のドリーム・チームは、過去の様々な経験の蓄積によって出来上がってきたことを感じました。オフィスに入った時の社員の方々の元気な挨拶と笑顔や、社員で1日がかりで描き上げたという大きな絵は、会社全体に風通しの良さや様々な文化形成がされているからこそだと実感しました。人を大切にする文化は、こうした日々の積み重ねのなかに息づいているのだと感じた一日でした。

 

 

 

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