第8回 堀田新五郎(翠山大学設立準備会)――自由民として生きるための学び

この番組は「教える」をなめらかにし、みんなの「かわる」に寄り添うを掲げるPOPER代表の栗原慎吾と、山村で自宅を図書館として開き、「地に足をつける」生き方を探求する思想家・社会福祉士の青木真兵が、さまざまな「教える現場」を訪ね、その奥深い呼吸に耳をすませながら、教育の本質を問い続けるトーク番組です。=構成・向山夏奈

 

堀田新五郎(ほった・しんごろう)さんのプロフィール

一般社団法人翠山大学設立準備会・代表理事。専門は政治思想史。世のしがらみと組織の力学とやむにやまれぬ思いから撤退学を始め、「撤退は知性の証しである」と訴える。関連著書は『撤退論』(共著・晶文社)、『山岳新校、ひらきました──山中でこれからを生きる「知」を養う』(共著・H.A.B)、『撤退学宣言』(単著・晶文社)、『撤退学の可能性を問う』(共編著・晃洋書房)など。奈良県立大学で副学長などを勤めた後、一旦大学から撤退。新しい大学づくりを始める。

日本社会は生活習慣病を患っている

栗原 第8回のゲストは、自由に生きるための技法を学ぶ「翠山大学」を設立準備中の堀田新五郎さんです。今日はよろしくお願いします。

堀田 よろしくお願いします。まずは、翠山大学のコンセプトからお話ししましょうか。この大学では、ライフ(life)を中心にした社会を目指しています。

栗原 ライフには生活や人生といったいろんな意味がありますね。どれに近いでしょうか。

堀田 言ってしまえば「生きものとしての丸ごと性」です。私たちも当然生きものであって、環境と常に交わって生きている。しかし、近代社会ではライフがいろんな形で分断されています。たとえば、生活の場である住居や、仕事をして賃金を得る職場、学びの場、遊びの場といったように、一人の人間が生きる場所というか、軸が分断されています。つまり、近代社会とは、丸ごとの個人を細かくわけて分断していくものなんですね。そうではなく、生きものとしての丸ごと性=ライフを中心に生きていくために必要な学びを提供したいと、私たちは思っています。

栗原 ライフを中心にした学びとは、具体的にどんなカリキュラムになるのでしょう。

堀田 研究科名は「リベラルアーツ研究科(通称:<自由民>実践研究科)」を予定しています。日本各地にいる実践家たちを「自由人」ではなく「自由民」と複数形で呼び、その人たちがどんな生業(なりわい)をもち、どんな構えのもとに生きているのかを研究するコースです。そこでは、一人だけの学びではなく、学生と実践家とが一緒に地域の拠点で生業をしつつ暮らしも共有する。そんな「ライフシェア」を通じた学びによって自由民を増やしていく。カリキュラム構成は、オンラインで学ぶリベラルアーツ科目と、地域拠点でゼミやフィールドワークをする「専門実践プログラム」の二本柱です。現在、地域拠点は北海道から沖縄までに渡っていて、20人くらいが共同生活できるようにしたいと思っています。

栗原 「リベラルアーツ」という言葉にも、いろんな意味が込められていそうですね。

堀田 私たちが考える「リベラルアーツ」とは、自由に生きていくことを実存のレベルから考えるものです。今の学生たちを見ていると、自分が何をして生きていきたいかが、わかっていないと感じます。まず学校という仕組みがそうなっていることが大きいのですが、テストのたびにランクアップを求められて、自分の偏差値でいけるレベルの中から大学を選ぶ人ばかりです。就職しても、ほとんどの人が数年経ったら転職していて、次の職もこれまでのキャリアが生かせるところから選ぶ、という決まった流れから逃げられない。私はこの標準コースを脱落させたいんです。

そのためには、まず自分の実存に立ち返ることが必要です。たとえば、これまで「18歳になったら大学にいくものなのだ」という標準の流れの中にいたことを、まずは自覚する。既存の価値観を一度解きほぐしたうえで、実存に立ち返り、じゃあ自分はこの世界で何をして生きていくのか、を探求すればいいんです。その土台として、今の社会がどういう状況に置かれているのかを知識として学ぶ必要があります。そこをオンラインの科目で補えればと考えています。

栗原 たしかに、既存の教育だと、自分自身がどう生きていきたいかよりも、何が最適解なのかを問う傾向が強いですよね。最近は文科省も「探求型学習」とは言ってはいるものの、カリキュラムやメソッドは何も変わっていません。そのなかで翠山大学はこれまでの教育とは全く違うものを目指しているんですね。

ちなみに、ぼくの娘が通っているシュタイナー学園の理念は、「自由への教育(自由を獲得するための学び)」です。ただ、他の幼児教育のなかでこれはよくないと思う言説もあって。それは「自分の存在と素直に向き合う力は2〜8歳で完成する」というものです。科学的には根拠があるのかもしれません。でも、ぼく自身は、社会人になった後も、自分の実存をめぐってもがき続けてきたし、そのなかでいろんな方と出会い、書籍を読んだりすることで変わってきたという実感がある。だから、実存レベルでの学びが提供されることは、いくつになっても大事だと思っているんです。

堀田 おっしゃるとおりですね。ぼく自身も子どもの頃に想像していた60歳って、あ、今のぼくの年齢ですけど、もっと確立された人だと思っていました。でもいざなってみたら、ああでもないこうでもないと苦しんでばかり。それは仏教の「中庸」を探求するというか……ぼくにとって永遠の課題ですね。オスカー・ワイルド(アイルランドの詩人)が「教育は素晴らしいものだが、本当に知る価値のあることは教えられるものではない」と言ったことにも通じますね。これさえやればいい、というマニュアルのようなものを与えられるのは楽です。断食といったような苦行にしても、与えられたものをやれと言われるのは、人間にとって楽なんですよね。でも、中庸を行くことについては教えようがない。翠山大学はそれを探求するような場にしたいです。

栗原 第三者が答えを与えるのではなく、答えを創造できる人をつくっていく大学になったらいいですよね。

不毛な競争から撤退することこそが知性

栗原 堀田先生はご著書のなかで「撤退は知性の証である」と書いていますね。その境地に至るまでの、個人的なご経験を聞かせてください。

堀田 30年ほど大学教員をしてきたなかで、21世紀の日本は巨大な生活習慣病みたいなものに陥っているのではないか、と思ったのが出発点です。たとえば気候変動対策。1995年に京都議定書が、2015年にパリ協定が採択され、Co2削減目標が提示されましたが、悪化するばかりですよね。それから、プライマリーバランスの黒字化も、当初の目標年は2011年でした。だけど、目標年に近づいたらポーンと飛んで2020年に。要するに、このままじゃまずいと思っていても、「わかっちゃいるけどやめられない」状態です。それって、まさに生活習慣病ですよね。処方箋は次々と出すけど、どれも対症療法にすぎず、悪化の一途を辿るばかり。環境世界を整えて、人類が世界に正対していくことが大事なのに、「やめられない・とまらない」で惰性的に続いていく。

そこで、まずは今の状況から撤退することから始めませんかと、訴えはじめました。撤退という言葉にネガティブなイメージをもつ人もいるけれど、必死に競争してランクを上げることが果たして本当に必要なのかと問うて、争いそのものから撤退していくことのほうが、自分と周囲のライフにとってはよっぽどいいのではありませんかと。

それに有能さって、目の前のタスクを必死でこなすだけではないと思うんです。時に土俵から出て、土俵そのものを眺め、その争いが必要なのかを見直すことも、重要な知性のあり方です。でも、世間一般には、社会のニーズを察知して、そこに適合することばかりが有能さとして認められているように思います。

栗原 統計といったマクロな数値をみて、取り組むべき課題を切りだしたり、優先順位を決めるのは、わかりやすいかもしれない。ですが、ぼく自身もそういう知性のあり方に、どこか違和感をもっています。それこそ、自分が人としてどう生きていくか、ぼくにとっては信仰や進むべき道とも言えますが、そこから社会問題を考えるべきだと思います。さらに言えば、それを運動としてどうやって食っていけるようにするか、に興味がある。その点でいくと、堀田先生はまさに、研究職から突如として「運動体をつくる立場」になられましたね。今までとは違った景色が見えてきたんじゃないでしょうか。

堀田 ぼくの専門は政治思想史で、哲学と政治学の間のような学問領域なんですね。そうすると、自分の頭と本があれば、それで成立してしまうような職業人生でした。たとえば、名刺交換はほとんどしない。それくらい狭いサークルのなかで生活してきました。

ところが、翠山大学の設立準備を始めてからは、飛ぶように名刺が消えていく。まさに、社会に出た感じがしました。先週は茅葺職人さんを訪ねに八ヶ岳のほうまで行って、竪穴式住居に泊り、五右衛門風呂に入りました。そうやって、いろんな地域拠点を訪ねていくと、そこでクリエイティブに生きている人たちには、共通する構えがあることに気づきます。それは、職人たちに古来から受け継がれてきた作法と、現代サイエンスの最先端を両方とも咀嚼しながら、日々素材と対話して、失敗と成功を繰り返しながら、挑戦・探求を繰り返していることです。ぼくにとっては、それがむちゃくちゃ楽しそうだし、知性の本質に触れるような作業なんですよね。それをぼくは行くたびに学ばせてもらっています。だから、現場に触れることこそが、知的な作業なんだということを、もっとみんなに知ってもらいたいですね。

青木 それはつまり、偏差値や学力といった計量可能なものとしての知性を目指さないということですよね。ぼくたちはこれまで初等・中等教育の塾を経営している先生たちとお話ししてきましたが、翠山大学の目指していることに近いものがあったように思います。それは、勉強ももちろん大事だけど、子どもたちには夢や希望といった溌溂としたものを失わないでほしい、みたいな願いです。つまり、分割不可能なライフと、いわゆるスキルをもった社会人とを行ったり来たりするっていうことなんだと思うんだけど。

栗原 塾は受験競争を加速させる存在として、悪とみなされやすいですよね。でも、学校に足りないものを補完する役割があるから、ずっと必要とされている。塾の先生たちも型にはまった生き方ができないアツい人たちが多い。もちろん、食べていくためには学力を伸ばすためのサービスを売ってはいるけど、生徒たちのライフを支えたいという思いを持っている人たちです。翠山大学も、利益目的の学校法人として設立しようとしていることがすごいと思います。

教える現場が失ってはいけないもの

青木 自由への学びの実現を支えるために、POPERのバックオフィスのサービスが担える役割が、あるかもしれませんね。POPERがいくつもの教える現場を支援するなかで、現場に失ってほしくない理念があれば教えてください。

栗原 現場の人が、当事者に感覚を開くことですかね。この場合は、塾を利用している生徒が当事者になりますが、生徒に感覚を開いていくこと、そこで得た感覚によって判断することが大事だと思います。請求業務といったバックオフィスの仕事で忙しくなると、感覚の部分が閉じていって、決められたタスクをやるだけになってしまいます。生徒の表情がなんだか暗いなと感じたときに、その子に集中できるような状況をつくっておくことが大事。あと、最近の経営者は、AIの導入によって効率化しなければ経営が上手くいかないと思い込んでしまいがちなのですが、ちゃんと現場の人たちと接して感覚を開いていれば、それだけじゃないことはわかってくると思うんです。

青木 お金の話をしながら感覚を開いていくことの難しさは、堀田先生も感じているのではないでしょうか。

堀田 いままさに資金集めに奔走していますが、経営者のみなさんに今日のような理念をお話ししても、なかなか切迫感が伝わらない。翠山大学構想の現状といえば、理念はいい、カリキュラムもある、共感する仲間もいる、土地・建物はすでにあるものを改築して使う予定、あとはお金だけ!という感じで……。翠山大学が各拠点でやろうとしていることは、地域がどんどん疲弊していく状況のなかで必ず求められていくはず。このシステムを都心部の大学でもやるべきだと思うんですけどね。本当に商売に向いてねぇなぁ……と思いながらやっています。

栗原 そこは考え方次第かもしれませんよ。ぼく自身はお金を稼ぐこと自体には良いも悪いもないと思っていて。資金集めも、自分たちの理念を実現するために、現実社会との接点をつくっていると思えば必要なことです。ちなみに、矢沢永吉は「魂を売らないためにお金を稼いだんですよ」と言っていました(笑)。でも多くの人が資本の力に魅せられて魂を失っている。翠山大学はすでに理念を共有する仲間がたくさんいるので、そこは安心ですね。あとはわかりやすいマーケティングですよね。「これだったらお金出したい」と思わせるようなアイコンがあるといいと思うんですけどね。

堀田 大学づくり自体が自由民になっていくための探求のプロセスだと思ってやってるんですが、タスクの嵐になると疲弊していきます。それをどう目の前に置いてやっていくか。気づいたら後ろから横から殴られているような感じになっているので、こっちからタスクを追い回す、という構えにしていきたいと日々修練している感じです。

青木 正面から殴られに行くってことですよね(笑)。

堀田 ああ、そうですね(笑)。大学も最後の10年はやらないといけない仕事に追われてばかりで、どんどんつまらなくなっていきました。それで大学を撤退して、新しい大学づくりを始めたんですけどね。栗原さんのように、ご自身の信念を追求して、同時にビジネスとしてもうまくいくっていうのは、すごいことだと思います。

栗原慎吾(くりはら・しんご)
株式会社POPER代表取締役。1983年さいたま市生まれ。明治大学経営学部卒。住友スリーエム等を経て、S.T進学教室に共同経営者として参画。学習塾時代に感じた課題の解決を目指し、2015年POPERを設立。神奈川県藤野在住。3児の父。2026年3月に『社会関係資本主義』(夕書房)を刊行。

 

青木真兵(あおき・しんぺい)
思想家/社会福祉士。1983年生まれ。博士(文学)。社会福祉士。奈良県東吉野村に移住し自宅を「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」として開きつつ、就労支援、ユースワークなどにも関わりながら執筆活動を行っている。著書に『資本主義を半分捨てる』(ちくまプリマ―新書)など。

 

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