監修いただいた先生
E塾があるのは地方都市の郊外、田園風景が広がる長閑(のどか)な田舎町でした。私が訪問したのは15年ほど前のことですが、塾長ひとりで120名以上の生徒を指導する自立学習指導塾でした。今でこそ映像を利用した自立学習指導塾は珍しくありませんが、当時は優れた映像教材もなく、E塾もワークを利用していました。それでも登塾してくる生徒たちは、時には塾長と冗談を言い合いながらも、黙々と熱心に勉強していたものです。塾長の人柄が溢れたアットホームな教室で、保護者からの信頼も絶大でした。
塾長は以前、大手進学塾の鬼教師だったそうです。それなりの進学実績を叩き出していたのですが、いつしか自分の、塾の指導方針に疑問を持つようになり、故郷にUターンして今の教室を開校したそうです。心掛けたのは「ストレスのない学習空間」です。進学塾では毎月のように模擬試験があり、そのたびに行われるクラス編成と席替え。一喜一憂しながらも競い合って伸びていく生徒がいる一方、競争に馴染めずストレスを溜めて常にイライラしている生徒の存在に心を痛めていたと言います。そんな塾長が自らの理想を実現しようと、故郷で独立開業したのです。実際、そこにいる生徒たちは屈託がなく、時には塾長と友人のように話し、学習するときは集中して取り組む、メリハリの利いた過ごし方をしていました。そこにはストレスの欠片もありません。
そうしたE塾を象徴する取り組みがあります。後に私が「英雄伝説」と名付けたのですが、それは生徒の小さな成果を表彰することです。塾の表彰と言えば、例えば試験の上位者であったり、科目別の満点獲得者だったりと、学習に関わることがほとんどです。しかしE塾は違いました。
学習面はもちろん、部活で活躍した生徒、作文コンクールで入賞した生徒、中には運動会のかけっこで一等賞だった生徒もいます。そうした生徒ひとり一人の小さな事績を捉え、塾が「英雄認定書」を発行しているのです。その認定書が壁一面にずらっと並んでいます。中には何枚も重ねて貼ってある生徒もいます。ある一定枚数に達すると、殿堂入りです。別の掲示板には殿堂入りした生徒の、ひときわ立派な認定書が額入りで飾られています。
さて、想像してみてください。とある母子が入塾面談にやってきます。ずらっと飾られた「英雄殿堂入り表彰」を一枚一枚眺めています。その時、もし父親の名前をそこに見つけたとしたら…母子の感動は想像に難くありません。
「人は技術に感心はするが、感動はしない」という原則があります。例えば、クオリティの高い音楽を求めるのならCDやダウンロードで充分です。何度再生してもミスのない音楽を堪能できます。それでも人はライブを欲します。生のアーティスト・アイドル・演奏家は音を外すこともありますし、歌詞を忘れることもあります。それを含めてライブには感動があります。人は感動を求めてライブに足を運びます。
私は学生時代、アリス(若い人はご存じだろうか)のファンでした。きっかけは、コンサートのスタッフとしてアルバイトをしていた時のことです。アリスのコンサートで私は、緞帳(どんちょう)を巻き上げる係として、舞台袖に待機していました。その時、メンバーの谷村氏がスタンバイのため隣に立ったのです。私が思わず「頑張ってください」と声を掛けると、「ありがとう、今日はよろしくね」と言って右手を差し出し、握手をしてくれたのです。彼にとっては日常の振る舞いなのでしょう。しかし私は、その時の感動が忘れられず、以来40年間、彼のファンであり続けています。名古屋でコンサートがあれば、ほぼ欠かさず通っています。
そう、人は感動することで行動に移すという性質を持っているのです。確かに塾は「成績向上」「志望校合格」を提供することを生業とするビジネスです。そのために学習効率の高いカリキュラムや指導システムを構築することは重要です。高校生相手の予備校でしたら、それだけで成立するのかもしれませんが、小中学生を対象とする場合は、必要条件ではあっても十分条件にはなり得ません。学問を通して人間的に成長してほしいと願う保護者は多いものです。ストレスのない環境で伸び伸びと勉強させたいと願う保護者は多いものです。そして、そうした子どもの居場所には常に、小さな感動が必要なのです。
「成績が上がった」「志望校に合格した」は、生徒にとって大きな感動には間違いありません。加えて、日常の中に小さな感動を創出すること。それが子供たちにとって塾を、「家庭」「学校」に続く「第3の居場所」にするのでしょう。
E塾の「英雄伝説」をはじめとする様々な取り組みは、中小・個人塾の1つの在り方を私に教えてくれました。